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京都地方裁判所 昭和23年(タ)22号 判決

原告 高田喜太郎 外一名

被告 高田光治

一、主  文

原告両名と被告とを離縁する。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、事  実

原告両名訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、原告等は昭和二十二年七月十五日被告と養子縁組をしてその届出を濟ました。被告はその後原告等方に原告等と同居して関西配電株式会社伏見配電局電氣課に勤務していたが被告には原告等に対する孝心がなく、勤務先よりの收入も秘しているなど態度が常によそよそしくて原告等と和合し一家を形成しようとする氣風に缺けるところがあつたので、原告等は被告に妻帶させて世帶をまかせれば、この氣風も改まるものと思い、同年七、八月頃被告に原告喜太郎の実弟高田鉄次郎長女訴外八重子との結婚をすすめて見合をさせたところ、被告も熱心に同訴外人との結婚を希望した。ところが右縁談は八重子の意向によつて一旦打切られたが被告において右結婚を強く希望したために遂に同訴外人も意を飜えして昭和二十三年四月初旬原告喜太郎と同訴外人実家との間に右縁談は成立を見るに至つたのである。原告喜太郎は、右縁談成立を機会に被告の將來を誡めるため、同年四月三十日被告に対して「結婚した後は從來の態度を改め、一家和氣に満ちて暮すように」と説諭したところ被告は右説諭に立腹して、同日出勤したまゝ帰宅せず実家で二、三日過したのである。原告喜太郎はそうとは知らず同年五月二日前記訴外人方え結納を持參して同月十日帰宅の上更に被告に右説諭の趣旨の実行を確約するかどうか問うたところ被告は返答をせず、翌十一日朝出勤したまゝ原告等方え帰宅せずにその後実家に起居している。原告等は被告の帰宅を希望し人を介して原告方へ帰宅するよう被告を説得してもらつたが被告には帰宅の意思なく説得は不成功に了り、又被告は同月廿七日帰宅しない旨を傳えて原告等方より荷物を引取つたので、原告等は右被告の態度よりして被告には親子関係を継続する意思のないことを知り、養子縁組の際の媒酌人である訴外上田徳太郎を通じて被告実家と交渉の結果、離縁の協議がまとまつたので原告等は同年六月五日頃より数回に亘り協議離縁届に被告の調印を求めるため、使者をして被告の許に用紙を持參させたが被告は之を拒絶した。しかして被告は同年七月九日原告等方より配給籍の轉出をなし、且つ勤務先え原告等と離縁する旨申出てて、原告等方は被告勤務先職員の家庭として、電燈、電力料に特別の取扱があつたのを廃止せしめて全く原告等方へ復帰する意思のない事を明かにしているのである。被告の右行爲は悪意を以て原告等を遺棄したものであるから民法第八百十四條第一項第一号の離縁原因たるものであり、仮に然らずとするも同條同項第三号の縁組を継続し難い重大な事由に該当するから離縁の宣言を求めるため本訴に及ぶと陳述し、原告等の主張に反する被告の答弁事実を否認した。<立証省略>

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求め、答弁として原告の主張事実中被告が原告主張の日に原告等と養子縁組をなしその届出を濟ませたこと、被告が原告主張の勤務先に勤務するものであることは認めるが、その余の事実は否認する。原告等は被告が原告等の家庭に於て常によそよそしい態度で孝心がなかつたというが、それは原告等の主観の表明に過ぎない。被告は世代、性格、境遇等の隔離にも拘らず養父母との間に円満な融合をはかろうとして日夜心神を労して來た。すなわち被告は原告等と同居しつゝ或は会社の勤務を休んで原告等の百姓仕事を手傳い、或は原告等実子の命日には佛事を缺かさず、或は実家より原告喜太郎のためにその好物たる酒を貰いうけて持ち帰り、或は同原告が風呂好なので原告等方に電氣風呂の装置を設備し、且つその材料購入のためには勤務を休んで大阪まで行つた等、原告等に孝養を盡し又勤務先よりの給料はその金額明細書と共に税金を差引いた全額を原告喜太郎に手渡し、その総額は昭和二十二年七月以降昭和二十三年四月まで金三万一千二十七円に達している。原告喜太郎はこのうちより金五百円を昭和二十二年十二月に正月用小遣としてくれたのみで、他は全部收得しているので被告は月々の小遣にも困つた次第である。

原被告間の縁組に当つては、原告等の血縁者からは被告の嫁を迎えない約束があつたのに原告喜太郎から約束に反してその親族たる訴外八重子との結婚をすゝめられて被告は内心不満に思いつゝも同訴外人と見合した結果、被告は同訴外人に好感を抱いて右縁談に夢と希望をかけた。ところが間もなく同訴外人は被告の容貌が氣に入らないとの理由で縁談を断つてきたゝめ被告は男子の面目上今後如何なることがあろうともこの縁談には氣が向かなくなつた。然るにその後被告は八重子の実兄に会い同訴外人の氣持が變り縁談再燃の可能性のあることを知つたが八重子の実際の心境を測り難く悶々の思に苦んだ。ところが被告の心中の苦悶を解せず原告等と八重子の実母との間に被告の存在を無視するが如き状態において被告と八重子の縁談が再びすゝめられ原告等は被告の意思を斟酌せずに縁談をとり決め結納の日取りも勝手に定めたのである。被告は原告等のこの專制的な態度に不満の意を表明し且つその反省をうながすため昭和二十三年四月三十日実家に帰つて二、三日滞在し更に同年五月十一日よりかりそめの家出をした。これは原告等を遺棄するつもりでも又原告等と離縁するつもりからでもなく嫁の候補者八重子そのものに対する不満からでもない被告の家出は被告自身の結婚にあたつて被告の意思を第一義的に尊重しない原告等の專制的態度に對する不満の表明手段としてかりそめに行つたものであつた。從つて被告は原告等がその氣持を和げてくれゝば何時でも無條件にて原告方に復帰する意思を持つているのであつて、それ故にこそ家出後変電所に寝泊りし更に昭和廿三年十一月三日まで勤務先の上役である訴外西村宅に起居し同訴外人が病臥するに至つて止むなく実家に帰つて滞在しているのであるが、かようにいわば流浪の生活をなしたのも被告の帰るべき家は養家たる原告等方以外になしと考えていたからに外ならぬ被告が原告等に自己の荷物引取方請求に行つたのは家出後六ケ月にもなつて着換えにも困つたからであり、配給籍の轉出手続をなしたのは生命維持に関することだからである。又原告方の電燈、電力料の職員扱廃止は原告等自身被告の勤務先に右廃止方申出でた結果なされたものであると述べた。<立証省略>

三、理  由

眞正に成立したものと認められる甲第一号証(戸籍謄本)によれば原告夫婦と被告とは昭和二十二年七月十五日養子縁組の届出をなし、現在養親子の関係にあることが明かである。

そこで原被告間に原告等の主張するような離縁原因たる事実があるかどうかを考えてみる。前記甲第一号証、被告本人の供述により成立を認め得る甲第三号証の一、二、証人三上正隆、上田徳次郎、小森中喜、小西清之亟、淺香正、江口文野、瓦谷廣三、高田シゲの各証言、原告喜太郎本人、被告本人の各訊問の結果を綜合すれば、原告喜太郎は明治十三年一月生れで原告ハツは明治二十二年十一月生れであつて明治四十一年結婚しその間に四男三女を擧げたが、三男門彌を除いてその他の子女は昭和七年までに相次いで死亡し三男門彌も昭和十九年九月外地で戰死し、子のないところから昭和二十二年七月一日訴外上田徳次郎の媒酌で被告を養子に迎えた。被告は大正十四年九月訴外小森中喜の五男に生れ当時関西配電株式会社伏見配電局電氣課に勤務していたものである。被告が養子として原告等方に同居した当座は格別の事もなく折合いも悪くなかつたがやがて原告等は被告の生活態度に不満を抱き、被告が原告方の家風に合わないと考えるようになつた。即ち原告等は被告を実子のように遇するつもりで洋服等を新調してやつても喜ばれず、上級学校への進学をすゝめても敗戰國では学歴は不要だとて斷られるし朝起床しても朝の挨拶以外には寒暖の感想を言うでなし、勤務の内容についても話して呉れず、世間話を持ちかけても應ぜず、食事の美味不味も語らないというように無口で打ちとけるところがなかつたので、原告等は淋しく感じたのみならず被告が原告等に來客があつても挨拶もそこそこに外出して遊びに行つたり、被告が縁組の折原告方へ持參したラジオや原告等が被告に與えた写眞機を原告に無斷で持ち出して他人に貸すとか、原告ハツに被告が口答えするとか、原告等が被告に小遣銭を與えても被告はその使途を報告せず残金も返さない等のことがあつて原告喜太郎は被告に叱言を言うことが屡々であつた。又被告は原告等の考え方や態度に不快の念を抱くようになつた。被告は元來眞面目な青年で勤務先同僚間には信望があつく組合活動にも熱心であつて、原告家に入つてからは月約三千円の給料は殆ど全額を原告等に手渡していたし原告喜太郎の畑仕事を日曜日午前中その他たまには会社を缺勤して手傳う等誠意を以て原告等との和合に努力したつもりであるのに前記のように原告喜太郎から屡々叱言を言われるので、叱言がきびしすぎる、喜太郎は被告を理解しない頑固一徹な性格であるとして反撥を感じた。かようにして原告等と被告との間には親子の情愛に基づく和やかな氣風がかもし出されず冷いものになつてしまつた。原告喜太郎は暖い家庭にするには被告に嫁を迎え世帶を讓るに如かずと思い富山市在住の実弟高田鐵次郎の長女訴外八重子を適当と見て同年八月同女を連れて帰洛した。(養子縁組の当初被告の妻を原告等の親類からは迎えないという諒解があつたという事実はない)被告と八重子とは嵯峨、京都市内等を一緒に見物して見合を濟ませた結果、被告は八重子との結婚を熱望するに至つたのに八重子からは被告の容貌が氣に入らないという理由で同年十一月頃被告との結婚を斷られ被告は男としての面目をつぶされたように感じて憤慨した。ところが昭和二十三年一月初頃八重子の実兄訴外高田耕三が被告の人物を打診に來京し被告が耕三に八重子との結婚を懇望したため耕三の斡旋により八重子も遂に被告と結婚する氣持になつた。そこで八重子の実母訴外高田シゲが同年四月初旬原告方を訪れ原告等両名及び被告との話合の結果、被告と八重子との縁談につき、結納の日を同年五月六日とする取決めがなされた。

原告喜太郎は被告と八重子との結婚が実現するに先立ち被告の將來を誡めておく必要を感じ、同年四月三十日被告に對し、原告等に対し下宿人のようによそよそしく、又原告等に無斷で他人に物品を貸與する等の被告從前の態度、行爲に反省を求める趣旨の訓諭をなし若し被告において從來の態度を改めないならば原告等にも考えがあるから一度実家へ帰つて相談してくるよう申し渡したので被告は之を快く思わず、同日その実家に赴き実兄訴外小森中喜に右原告喜太郎の言辭を憤慨して傳えたところ、兄より慰諭されて五月四日原告方へ帰宅した。原告喜太郎は被告の右留守中たる同月二日前記訴外八重子方へ結納を持參して同月十日頃帰宅したが、その夜原告等方に原告喜太郎、被告、被告の実父訴外小森中喜及び訴外三上正隆の四名が会合し飲酒した際その席上で原告喜太郎は被告に対し「被告は何事によらず原告等に打ちとけて話し家庭の團欒につとめ、原告等に來客のあるときは、その附合いをなし、原告ハツに口答えせず原告等に子として孝養する」等の從來原告等が被告をその家風に合わせるため被告に要望してきた事項を被告において今後実行出來るかどうか確答を求めたところ、被告は「犬も尾を振れば喜ぶ」などと言い翌日返事すると答えてその場は濟んだが被告は右原告喜太郎の話によつて、原告等が被告を家風に合わぬ如何にもつまらぬ養子のように考えていることに不満を抱いたので、被告が家出をするときは被告に対する考え方や態度を反省して貰えるものと考え翌朝出勤したまゝ原告等方に帰宅せず原告等に無断で関西配電株式会社の発電所に数日宿泊し、更に宇治町所在の訴外西村某(被告勤務先課長)宅に身を寄せ、昭和二十三年十一月三日被告実家に移つた。一方被告の家出後前記訴外三上は二、三回被告を勤務先に訪ねて帰宅を勸めたところ被告は同訴外人に家出をしたのは悪いが向うも反省してくれないとこちらのみあやまつては帰れないゆえ考えておく旨答え、又媒酌人の訴外上田は原告等より被告に帰宅勧告をなすべく依頼せられ被告の家出後二週間程経つた頃被告実家に赴いて被告に会い「折角縁があつて結ばれたのだから一緒に帰ろう」と被告を誘つたところ被告も帰宅の意思を生じ同訴外人と共に原告方に向つたけれども、途中で被告は帰宅しない旨同訴外人に告げて別れてしまつた。その後一週間程して被告はその実兄中喜と共に上田方を訪れて理由は言わずに原告方へは復帰しない旨告げたので同訴外人はその旨を原告等方へ傳言した。そこで原告等はこうなつては諦める外はない被告と協議離縁しようと思い被告の実家にもその旨を傳えた上離縁届用紙を訴外上田に託して被告の勤務先へ数回赴かせ被告の調印を求めたが被告は言を構えて之を拒絶した。その後被告は生活の必要上使をやつて原告方よりその荷物全部を引きとり、又配給籍の轉出もなして原告等とは全く別個の生活をなすに至つている。しかして同年七月二十三日原告等より本訴が提起せられ、同年八月六日京都家事審判所の調停に附されたところ、(この事実は本件記録上明かである)被告には原告等方へ復帰する意思が全くなく唯離縁の條件として経濟的な補償を原告等に要求したため調停は遂に不調に帰したものであるが、現在の被告の心境としても原告等より或る程度の金員を貰えば離縁を承諾するつもりであり、他方原告等においても現在となつては被告の復帰を望む意思は全くない事實を認めることができる。原告等及び被告提出の証拠中右認定に反する部分は信用しない。

以上認定したところに從えば被告の家出そのものは原告喜太郎の叱責訓誡に対する不満から、これを以て被告の人格を無視した封建的思想、家父長観念に出たものであるとし原告等の旧式な思想に反省の機を與え得るものと信じて取つた行動であつて被告が原告等の生活を無視し親子共同体を破壊しようとの意図より家出をなしたものとは断じ難いから被告が原告等を悪意で遺棄したとの原告主張は採用出來ない。然しながら被告が家出という重大な行動を取つたことは何としても輕卒のそしりを免れない。原被告の希望と努力にも拘らずその間に親子としての親密感、敬愛の情、和合の氣風が結実しなかつたのは年令、境遇、性格の相違に由來するものと認めざるを得ないが、原告等が被告に望んだところのものは難きを強いる程のものではなく、むしろ大体に無理のない事柄というべく、これを以て封建的な家風と非難することはできない。原告喜太郎の叱責訓誡に被告が不満と反撥を感じたとしても被告に期待するところが大きかつたからこそ、それが叱責訓誡となつて現われたものであり、叱責の程度方法も決して被告の人格を無視するが如きものとも認められない。而もこうなつた責任の大半は原告等の善意を理解しようとせず原告等への同調を拒んだ被告にあるといえよう。殊に八重子との結婚は被告の熱望したところであり、この縁談は被告の同意の下に被告の希望する方向に於て手続がすすめられ、その間原告等が当事者である被告の意向を無視した点は少しもなかつたのである。然るに結納が済んだのを機に原告喜太郎が被告の將來を戒しめたところこれに対し被告はその場では何等の返答をせず翌朝無断家出を以てその返答としたのである。この場合新時代に目覚めた自主的な青年ならば自己の意思を披瀝して正しいものの発見につとめるこそその取るべき道であろう。そうしなかつた被告の軽卒浅慮は咎めなければならない。無断家出はこの場合目的動機はともあれ原告等の人格に対する侮辱であり、その意味するものは重大であるといわねばならない。而もその後原告等の復帰の懇願にも耳を藉さず被告は別居生活への行動を取つている。被告の無断家出から本訴が提起されるまでの一連の行動は当事者間に縁組を継続し難い重大な事由を作つたものと認めるのを妥当とする。而も本件当事者の現在の心境、被告の打算的な現在の氣持に鑑みても当事者を養親子関係に置き、親愛にみちた共同生活を営ませることは不可能となさざるを得ない。

そこで原告等の本訴請求を正当として認容し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用して主文の通り判決する次第である。

(裁判官 平峰隆)

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